よかった話(去年の話)
僕は趣味で、たまにゲームを作ったりしている。
ここ半年ぐらい、3分ゲー復活やRPGツクールMV発売のおかげか、ゲーム作るの楽しいなぁという気持ちが続いている。 半年も続いたので、そろそろその波も一旦終わるかもしれない。終わらないかもしれない。
この半年でよかったことがあったので、今のうちに書いておく記事。
コンプレックスの話
中学生あたりから、ゲームを作る仕事をしたいと思うようになった。 高校出たあと、それっぽい専門学校に進学。
専門学校1年目は楽しかった。2年目でゲーム作るのが本当にしたいことなのか、向いてるのか、わからなくなって学校にほぼ行かなくなる。半年ぐらい学校行くフリをして淀川の河川敷などを散歩する日々。
就職はしないとまずいと思って、ゲームにあまり関係のないソフトウェア開発会社に就職。 それから10年ぐらい。ソフトウェアの開発は好きだし、気が向いたら家でゲームを作ることもある。このバランスがいいのかもしれない。
しかし、一度志した道を降りたのは事実。学校に行かずサボって散歩していた時期のことは思い出深い。 自分はゲームを仕事にできなかった、ゲームクリエイターになれなかった人間だ。ゲームを作るという行為やゲームクリエイターという言葉に多少コンプレックスが残っている。
去年の話
2015年の12月。あるゲーム制作関連の交流イベントに参加した。
そのイベントの懇親会のなかで「今までこういったイベントに参加したことがあるか?」という話になる。 僕は「京都でやってたイベントに行ったことがある」という話をした。 これは”ゲームを作りたい君へ”というイベントだったのだけど、イベント名はうろ覚え。このときは”ゲームクリエイターになりたい君へ”というイベント名だと勘違いしていた。
「なんていう名前のイベントですか?」と聞かれて 「”ゲームクリエイターになりたい君へ”というイベントです」と言えばいいのだが、躊躇してしまった。ゲームクリエイターになりたいだなんて、言うのが恥ずかしいなと思い躊躇してしまった。結局言ったけど。
「”ゲームクリエイターになりたい君へ”というイベントです」と言うと、隣に座っていた人が「なってんじゃないですか。ゲームクリエイターに」と得意気に言った。
僕のことをゲームクリエイターだなんてやめてくれ、という気持ちになった。 ただそれよりも「この人の定義では、僕もそうなのかな」と素直に受け取る気持ちが大きかった。その言葉の後、暫く頭がボーっとしていた。 呼び方はなんでもいいんだけど、作りたいときに作ってるだけの自分が少し肯定された気がした。
今にして思うと、躊躇する僕を察して、そう言い放ってくれたのかもしれない。そうだとしても、その言葉は素直に受け取っていいものだと思っている。
○○クリエイターなんて、ただの横文字で、どうでもいいかと思えるようになった。 人によって姿勢や目的は異なる。とりあえず今は、これまで通り好きなときに好きに作ろうかなと思う。作らずにはいられない瞬間が、僕にもありますし。
これがこの半年の間にあった、いいことのうちの1つ。
おわり。